2018年3月19日に22歳の誕生日を迎えた長岡里奈の誕生日インタビューです。
21歳の1年はどんな1年だった?
多分、人生で1番挑戦した1年だった。インドに行くのもそうだし、そこでした事もそうだし。その挑戦を通して度胸がついたと思う。
長岡里奈 22歳 慶應義塾大学 総合政策学部3年 (2018.3.21)
インドに5ヶ月間行って、最初の3ヶ月間は普通にインターンをして、その後の2ヶ月間はインドの人たちにリサイクル石けんを届けるプロジェクトをやった。それが自分にとって沢山の挑戦があった。
まず、自分で考えてアイデアを出すのも初めてだったし、インド人と協働するのも、ものを作るのも初めてだった。石けんを作る機械を作ったり、実際に石けんをリサイクルしてる人にヒアリングをしたり。
ホテルのマネージャーに自分で作った英語の資料を持って石けんをもらうよう交渉するのも初めてで。 初めてのことが多すぎて、それを1つずつ乗り越えていくうちに度胸がついた。
なぜインド?
実はこの5ヶ月間のインドでのインターンは、3回目のインドだったのね。
私はアイセックっていう団体にいて、1年生の時にインドから日本にインターンしに来た学生をお世話する機会があったの。
それでインドについてちょっと調べたら、すごい経済成長をしてるらしいとか、ITがすごいとか、貧困がやばいとかって知って興味を持った。
初めてインドに行ったのは大学2年生の時で、6週間ボランティアしに行ったのね。
その時は自分が行く事で何か与えられるだろうって思ってたんだけど、結局6週間ボランティアをして何か変えられたの?って思ったら何もないのがすごく悔しかった。
その後日本に帰っても、ゼミとかでインドの歴史的背景を学んだり、貧困を解決したり開発をするって事はどういう事なのかっていうところを勉強した。
2回目にインドに行った時は10日間くらいしかいなかったんだけど、インドで将来働きたいって思ってたから、インドで働いてる日本人10人に話を聞きに行った。
それで「インドで働きたいんですけど」って言ったら、1人を除いて全員に反対されて、3回目のインドでとりあえずインターンをした。
そもそも、新卒でインドで働くには、「現地採用」か「自分で起業するか」の2択。
現地採用で何のスキルもない私を採ってくれるのは日本語学校の先生とか、日本企業への営業職になるんだけど、どっちも自分の将来には繋がらないと思った。
それなら、日本で働いてからの方がいいなと思って。 新卒で起業するのが嫌だと思ったのは、私のインドでのアイデンティティっていうのはやっぱり日本人である事だと感じたから。
だから、日本人としての価値を生かせる働き方がしたいと思った。
そのためには、1度日本人として働くってどういう事なのかを学んで、その後に自分のやりたい事をやっていけば良いと思った。
原動力は?
1番私にとって原動力になっているのは、初めてインドでボランティアしに行った時の経験。
他の国の学生とインドの学生と観光する機会があったんだけど、病気で足に大きなコブみたいなのが出来て、歩けないから体育座りの状態で足とお尻を動かして進んでるおじいちゃんがいたの。
その人の横をバイクとか車、人が轢くんじゃないかっていうくらいバンバン通ってて、「なんでみんなその人がいないかのように振る舞ってるんだろう」って思って、泣いちゃって。
それで、一緒にいるインドの学生に「なんでそういうのを見ても平気なの?」って聞いたんだけど、呆れた調子で「里奈、泣いてても意味ないよ」みたいな事を言われちゃって。
確かに私が泣いてもなんの解決にもならないし、ある意味偽善的だとも思って。
あの時泣いたのは、私が日本人としてどうにかしたいっていう思いがあったからなんだけど、結局私はその時何も出来なかった。
その涙をただの偽善の涙にしたくないっていう思いもあって、その後もインドで活動したんだと思う。
その1年で得た教訓は?
新しく学んだというよりは、やっぱりなという確証だけど、本当に諦めずにやれば何でも出来るんだなって実感した。だからこそ、やらなきゃって思う。
石けんを作るために機械を買いたかったんだけど、企業の人を説得するのにもすごく時間がかかったし、その機械を作った後も後戻り出来ない状態になったにも関わらず、今度は石けんをもらうホテルとの交渉が上手くいかなくて。
それで、機械を買っただけで終わるかもっていうプレッシャーで泣いてて。でも、泣いてても始まらないからその後ホテルに電話してアポをとって、最終的にはいくつかのホテルが石けんを提供する事になった。
だから、本当にやり続ければ、出来るんだなって思った。
22歳の抱負は?
清楚で、知的で、大人の色気のある女性になる事。
学生最後の1年だから、社会で活躍する社会人になる準備をしたくて、そのために自分が足りないのはこの3つだと思った。
私は、3年生までアイセックのコミュニティで生きてたんだけど、アイセックを卒業した後に他のSFCの学生とも関わるようになって、それで素敵だなって思った人たちを見た時に、自分には清楚さ、知的さ、色気が足りないんじゃないかって思う。
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