私は大学3年次の秋学期を、フランス北部に位置するリールという街で過ごしました。
出国前はフランス語を勉強した事もなければ、文化や歴史に関する知識も全くなし。そんな私がどうして留学先にフランスを選んだのか。
それは「豊かな暮らし」の定義を考察するためでした。
私は以前からライフスタイルプロデュースという仕事に興味があり、誰かの人生をより良いものにしたいというなんとも抽象的な想いがあったのです。
でも、人生の豊かさが果たしてどのようなものなのか、人間が「人生の豊かさと幸せ」を測るモノサシを俯瞰的に知る必要があると考えました。
フランスといえば、シンプルで合理的なライフスタイルが注目されていて、本屋に行けば自己啓発コーナーにフランス人の生き方に関する本が平積みしてあるほど。
誰もが憧れるフランスに行けば「暮らしの豊かさ」の定義を追究できると考えたのです。
日常生活の利便性
フランスに移ってまず驚いたのが、日本と比べて日常の不便が多いこと。 それと対照に日本生活における利便性の高さに気付かされました。特に東京は全てが揃っている街だと思います。
フランスでは基本的にどのお店も日曜日はおやすみ。レストランやカフェなどの飲食店であれば日曜でも夜まで開いているところも少なくはありませんが、大型ショッピングモールはもちろん、スーパーさえも閉まります。平日は夜8時以降も営業しているスーパーはあまりなく、24時間営業のお店はほとんど見た事がありません。
先日、フランスの小さな町にあるパン屋が1週間無給で働いた事で罰せられて賠償金を払ったという記事を読みましたが、フランスは国全体が率先的に働きすぎないようにしている国だと改めて思いました。
フランスでは、「日曜日を安息日とする」というキリスト教的な考えが現代の慣習にもさりげなく浸透しており、日曜日は働かずに休む日であるという価値観が一般的になっているのだと思います。
また、フランス人の国民性として、仕事とプライベートをきっちり分ける傾向があるようです。
パリで出会ったジャーナリストの男性は
「働きすぎはよくないよ。せっかく技術が進歩したんだから僕たちの働き方も変わるべきなんだ。労働時間や手間の削減は、健康的なライフスタイルを実現したり家族と過ごす時間を長くしたりするために役立つ。人生は長くないんだ。労働より価値のあるものや愛する人たちのために時間を費やすべきなんだよ。」
と言っていました。
彼らは「プライベートの時間」と「働く時間」それぞれに人生の優先順位をつけて、自分にとってより幸福度の高い暮らし方をカスタマイズしているのでしょう。
日本国内のある程度栄えた土地であれば、24時間営業のコンビニがいたるところにあり、何か欲しいものがあればすぐに購入できます。
さらに食べ物のレパートリーが豊かであるだけでなく、文房具、化粧品、衣類、図書、銀行ATM、など緊急で必要になりかねない物や、ちょっとした暇つぶしになる物がいつでも揃っています。
「コンビニエンス・ストア(便利なお店)」という名前に負けて劣らず、大変便利な施設の存在に慣れてしまっていたため、フランスのスーパーが平日は8時に閉店、日曜日と祝日は定休日だと知った時は、不安になりました。
しかし、慣れてしまえば予想していたほど不便ではなかったのです。
土曜日に食料を買い込んでおけば1日くらい食べ物に困る事はないし、行く場所や働く場所がなければ全員が習慣的に「日曜日は休息する」というサイクルができます。
平日の仕事後は友達や家族と食事をともにしてリラックス、休日は家でゆっくり休んだり、こじんまりとしたホームパーティーを開いたりして心を落ち着かせる時間を規則的に設ける事ができます。
その休息日が次の1週間の労働など、パフォーマンスの質を向上させていると感じました。また、計画的に必要な物を準備し、行動する力や忍耐力も付きます。
便利さと豊かさ
日本の現代社会は、さまざまな分野で便利な世の中になりました。
例えば、宅配便の荷物受け取り時間は細かく指定することができ、万が一不在のために荷物を受け取れなかったとしても、再配達を申し込めばすぐに届けてくれますし、24時間対応の受け取り窓口まであります。
しかし、日本人の完璧主義に根ざした気質でしょうか、便利化が進むに伴い何か大切なものを忘れていっている気がします。自分の思う通りにいかないと不安になったりイライラしたり、感情のコントロールや欲求抑制が難しくなっているように思います。
私たちは便利すぎる社会に慣れてしまい、「それがないと暮らせない」と思い込んでいるのではないでしょうか。
「便利である事が当たり前」の時代になり、その当たり前にできる事がなんらかの事情によりできなくなると、「どうして、そんな事もできないのか」と怒りを感じやすくなっているのです。
今ほど便利ではなかった昔の時代と比べてみると、むしろ世の中が便利になった後の方が人はイライラしやすくなったと分かりやすいでしょう。
もしも配達予定の荷物が希望の時間に届かなかったら、もしも人と待ち合わせるのに携帯電話が使えなかったら、もしも銀行の時間外でお金を引き落としたい時にコンビニATMがなかったら、もしもパソコンがなくてレポート課題に使う参考文献を図書館で自力で探さないといけなかったら…
考えてみるだけで「あぁ便利な世の中でよかったな」と感じますよね。
このように便利な世の中に慣れてしまったからこそ、自分の思い通りに行かないと不都合を痛感してイライラしやすくなっていると思います。負の感情を感じやすい人生は果たして豊かなものだと言えるのでしょうか。
駅の伝言板を通して約束の変更の旨を伝えていたり、銀行窓口の時間に合わせて行動したりしていた時代と比べて、私たちの行動を縛るものが減ってしまい、いつしかそれが当たり前になってしまいましたよね。
その「当たり前」が通用しない事や完璧じゃない事を受け入れるための忍耐力が弱くなっている故イライラするのだと思います。
また、便利な生活が自分で何とかしよう、計画性を持って行動しようとするなどの人間が生きていく上で大切な心構えを失わせているのではないでしょうか。多少の不便があってこそ、困った時にどうすればいいか、忍耐強く自分で考えて解決していくという基本的な能力を使い磨く事ができるのですから。
全てにおける便利化は必ずしもなくてはならないものではないと思うのです。むしろ便利化されずに残しておくべきこともあるのではないでしょうか。
便利さにも程よい加減がある
もちろん、世の中の便利化は決して悪いことではありません。
日本の利便性や効率性は世界に誇れる物であり、それらは日本人特有の他人を敬う心遣いや真面目さによって生み出された物だと思います。
でも、その便利さがあたりまえのものに感じているならば、それらから距離を置いてみてはどうでしょうか。
フランス人だって、電車の遅延など自分にとって不都合な事があると文句くらいはいいます。
でも、そのあと数十分間ずっと腹を立てているわけではなく、"C'est la vie"(こんなこともあるのが人生だわ。)と呟いて気持ちを切り替えるのです。
その姿勢は不便さを諦め、見て見ぬふりをしているのではなく、人生を楽しむ上で前向きな「諦め」を選択しているのでしょう。
私たちも自分で出来ることは何なのかを考え実行し、相手に求めすぎないようにする事で、不便ささえも楽しんでしまう余裕が持てるようになり、感謝の気持ちを感じやすくなると思います。
多少不便があっても、そのようなポジティブな気持ちになる人生の方がより豊かだと言えるのではないでしょうか。
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